評価:★★★★☆ 4.1
文明の滅び去った遠い未来、東京と云う名の沙漠があった。旧き時代の遺跡や廃墟を残して、砂に埋もれているこの大沙漠で、人びとはオアシスの基に、新宿、渋谷、池袋、六本木、秋葉原などの街並みを、復興させようとしていた。旧時代の高度なテクノロジーによって作られた複製都市たちは、残りわずかになってしまった資源を奪い合う毎日を過ごしていた。そんななかで、或る日起きた爆弾テロが、多くの人間の運命を動かした……!
登場人物
主人公属性
- 未登録
職業・種族
- 未登録
時代:未登録
舞台:未登録
雰囲気:未登録
展開:未登録
人は水が無ければ生きられぬ。水資源の枯渇した旧文明が崩壊してしまった東京で、少年は、少女は、大人は、子供は、老人は。何を糧にしてこの退屈平凡な荒れ果てた世界を生き抜いて行くのだろう。他のレビューも合わせてお読みいただければ分かると思うが、これはただのSFやフィクションの類でくくってしまうにはあまりに惜しすぎる。そこにあるのは「東京が砂漠になってしまった」という世界設定のみであり、描かれるのは今も昔も、いやおそらく未来永劫変わることの無い人間の「生きる」ことへの渇きについて、なのである。水があれば命は永らえられるだろう。だがしかしそれを生きている、と表現していいのかどうか。生きる、明日を見つめるとは。水だけでは、人は心の渇きまでを満たすことは出来ない。……と偉そうに書いてみたが作者様の言いたいことと食い違っていたら申し訳ない。どうかあなたなりに、この物語を受け取って欲しい。
「東京沙漠」で描かれるのは、砂の海に沈んだ東京の姿だ。そしてそこに生きる、文明崩壊後の人々だ。しかしこれはファンタジーにしてファンタジーに非ず、打ち棄てられた文明の残滓を通して語られるのは生の哲学だ。誰しも考えたことがあるだろう。どうして俺たちは生きているのだろう。俺たちの生活はこんなにも渇いている、満足できない、この不足感・閉塞感はいったいなんなんだ?その思いを、東京沙漠に生きる人々も抱えている。水を巡った争いを通して、人々は考える。「どうして俺たちはこんな風にして生きているんだ?」あらゆる人々の生き様を通して、この物語は様々な答えを提示する。沙漠の風に立ち向かう、大地に根ざした強い考えだ。時代の荒波に生きる私たちが、ハッとさせられる言葉がそこにある。
タイトル通り、舞台は沙漠と化した東京。過去の栄光を消費し続けて枯らせてしまった悲しい世界は、なんだか身につまされる思いがします。飢えの象徴として『水』を巡る様々な策略や暴力、ときに殺人。人間の弱さゆえに生まれる愚かさ、醜さを緻密に表現されています。生きるためには正義も悪もなく、ただただ『生きる』ことに貪欲である人々の姿がいっぱいに込められた作品です。
水はわざわざろ過しなくては飲めない。 発展した科学技術のほとんどが失われ、砂交じりの風が吹く世界。 身を苛む痛み、渇きは喉ばかりではない。 貧困、不安。憎悪、不信。信念、挫折。希望、絶望。 荒んだ大地と心を抱えた人々。 他より手間をかけて綺麗にしたのに思うように売れずに苛立つ《水売り》を始め、見事に描かれる『生々しい人間の清濁含んだ心』の描写が興味深い。 そうであるというのは苦しいこと。だがしかしその通り。 しかし生きていく彼らはいったい何を見、どう感じるのか? 『水を商品として売るなんてとんでもない』と主張する宗教団体《拝水教》の急な活発。過激化。彼らにより登場人物の生活は大きく変わり始める。 惑う日々の中で抱く彼らの考え、思い、会話。賛同するかもしれないし反感を抱くかもしれない。 それでも間違いなく言えるのは『それもまた人の選択、心に違いない』ということだ。