※この作品は企業、団体、個人を批判中傷するのが目的で描かれたものではありません。
可能な限り直接取材、裏付けを取った上で事実に忠実に描いております。1985年8月12日に群馬県上野村に墜落した日本航空123便。その犠牲者の一人であった客室乗務員の妹の長女が事故直後に誕生した為に親族から「生まれ変わり」と言われてきたが、本人は意に介さず、その事を無視してきた。しかし、成人を迎えて「生まれ変わり」と言われる亡くなった客室乗務員の叔母さんの事が気にかかるようになり、自分が生まれる直前に起こった事故は何だったのか知りたくなっていく・・・。作者独自取材で実際の話を元に描いた人間物語。
(ご遺族の希望により仮名にしており、ご遺族の内容も身元が判らないよう少し変えてあります。その為、ご遺族の部分は完全なノンフィクションではありません。御了承ください。)
☆取材協力(敬称略)
・群馬県警察
・防衛省
・群馬県上野村
上野村 元村長 黒澤 丈夫
上野村第六消防団 元団長 今井 靖恵
上野村小学校 元校長 神田 箕守
・長野県川上村
川上村教育委員会 中島 幸裕
川上村第二小学校 元教頭 関田 芳和
・長野県警察航空隊
・北海道警察航空隊
・民宿「谷間」黒澤 義広
・元全日本空輸・先任機長 安藤 肇
・白田 弘行(浅間山荘事件クレーン運転手)
・清福寺 住職 皆川 良誠☆参考文献
ボーイング式747SR100型航空事故調査報告書(運輸省事故調査委員会)
鎮魂のしおり(財団法人・慰霊の園)
日航機事故回想(財団法人・慰霊の園)
からまつ昭和六十年第十八号 (川上第二小学校)
ほほえみ昭和六十年第二十二号(川上村役場)
航空ジャーナル一九八五年十一月号、八六年三、十、十二月号(青木日出男・航空ジャーナル社)
夕刊フジ昭和六十年八月二十八日号
墜落遺体(飯塚 訓・講談社)
日航機墜落・123便捜査の真相(河村一男・イーストプレス)
日航機遺体収容(河村一男・イーストプレス)
週刊新潮二OO五年八月十一日号
- 未登録
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死を間際にして部下を励まし諦めるなと叱咤する声が後に人々の怒りを想起する。仕事として報道し遭難しあるいは死者や怪我人に鞭をうつ。被害者に金をもらったのだろうと嫌がらせをする。先の機長はさておき、当事者でもなくそのようなことをする他人はきっと善意でそのようなことをしているのだろう。 事故から32年。いまだ涙は枯れぬ。 事故に至るまでの日々。けして容易な道ではなく。それでも希望を胸にして。 ひとりの女性の人生を巡る物語は生き写しと呼ばれる姪に託され、その物語を作者は丁寧な調査で綴った。 同じ時期、会社を除いてよく似た事故も今年起きてしまった。 被害者加害者が紡ぐ小さなバトン。 作品という形で多くの人に発信します。 どうかお受け取りください。 願わくば小さな花を手折らないように。 優しく見守ることができるように。
1985年8月12日。乗員乗客524名のうち死亡者数520名、生存者(負傷者)4名という最悪の航空事故、日本航空123便墜落事故その墜落事故で死亡した客室乗務員の遺族に、不思議な縁で深く関わることになった作者が描いたノンフィクション小説。事故の詳細な状況。乗務員達の冷静に懸命に自らの仕事を果たそうとした事実。事故後の搭乗員遺族への嫌がらせ。常人には理解に苦しむ乗客遺族にも及ぶ嫌がらせの多発。事故の背景と調査結果。作者さんが自らの足と耳と目で見聞きし、現在では話を聞くことさえ困難な事故に関わった様々な人々の言葉。死が撒き散らされた悲劇の墜落現場である御巣鷹の尾根の、穏やかな今とは……。様々な不思議な縁によって形作られた、ある種の奇跡のような作品だと私は思う。良ければ、是非読んでみてください。読んでいるとどうにも悲しくなるので、そこらへんはお気をつけを。