評価:★★★★☆ 4.4
――「人が、死ぬわけないだろう!」
世の真理であるはずの、〈人は、命は、生まれた以上必ず死を迎える〉――その大前提を覆す、少年の放った一言。
しかし、この人類最後の都市においては、それこそが摂理だった。
そこに生きる人々は、そのすべてが、老いることも死ぬこともない、不老不死の身だったのだ。……たった二人。一組の双子の兄妹を除いては――。
これは、永遠の生を享受する者と、死の意味を見出す者と――。
1000年の時を経た彼らの縁が最後に紡ぐ、命と罪の物語。※ かつて投稿した同タイトル『畢罪の花』を、レイアウトや構成を見直した作品になります。
※ 多少の手直しはありますが、物語の内容自体は変わりません。
話数:全75話
ジャンル:ヒューマンドラマ
時代:未来
舞台:未登録
“――永遠の命。死を克服したる者。まさに””奇跡””とも呼べるとある技術によって、不死となった人々が築き上げた理想郷――『庭都(ガーデン)』。老いも苦しみもなく、全てに満ち足りたような楽園のはずだったが、ノアとナビアの兄妹はその地から逃走しようとしていた。――果たして、彼等が逃げ出そうとする理由とは?――そして、兄妹達を捕らえようとする追手達の前に颯爽と現れた男の正体とは?『庭都』にとって””ありえない””出自を持った兄妹と存在である男が出会い、1000年間停止していた運命の歯車が盛大に廻りだす――!!――””死””とは何か?――””罪””とは何か?……そして、兄妹の逃亡劇の末に『庭都』はどのような答えを導き出すのか。――どうか、結末を読んだ貴方の頬を伝う涙が、優しいものでありますように。”
そう思っていた。「時間が癒す」よく言われる言葉だ。癒すのは飽くまでも自分だが、あせらずゆっくり、という意味なのだろう。では1000年あったら?肉体的に最高の状態を、ずっと保ち続けられたら?ちっぽけな悩みなど吹っ飛んでしまいそうだ。時間はいくらでもあるのだから、あせることもない。人類はそんな夢を実現させた。つまり不老不死となっていた。老いも死にもしない。永遠ともいえる時間を過ごすことに、もし難があるならば。それは癒されすぎることだろうか?過去の悲しみを忘れ、恵まれていることを忘れ――。実に陳腐だが、私はそう思っていた。――人類が不老不死となって1000年。双子の兄妹が生まれた。限りある命をたずさえて……生とは。死とは。これは「いのち」を描く群像劇。ぜひご覧あれ。
些か序盤が冗長だって?まあ、そうかもしれない。なろうらしくない上に、読者受けも狙っていない?確かにその通りだと思う。でも、この作品を読んだことを私は全く後悔していないし、むしろ読んで良かったと思っている。当たり外れで言えば大当たりだ。人生で初めて小説を読んでみて、『ふーん、こんなものか』という感覚から、気付いてみれば、物語に没頭していた事を思い出させてくれる、クラシックな薫りがするシリアスな物語なのだが、兎に角、中盤から後半にかけての盛り上がりが凄い。それは、序盤の丁寧で綿密な描写があってこその盛り上がりなのだが、例えるならば、週刊○年ジャ○プで門前払いされた漫画家が、他誌で成功したような――主義や傾向の違いはあるにしろ、判断するのはやってみなくては(読んでみなくては)分からない、と思わされた作品。流行り廃りは関係無く、やはり良い物は良い。
死とは何だろう?生とは何だろう?こんな問いかけは、最近は重いとかウザいとかで嫌われるそうだ(知らんかった)。死について考えるのは、確かに重い。それは、正解のない問いであるのに、人間は必ず死ぬからだ……ところが。『人が死ぬわけがないだろう!』こんな街が出現したら、どうだろう?その街は、穢れた大地から遠く離れた天空に造られた。清潔で、豊かな街。人が死なない世界。昨日と変わらぬ今日が常に約束されたユートピアで、人々は穏やかに暮らす。いいじゃないか?それとも、気持ち悪い?群像劇という形でどちらの立場をも示しつつ、この作品は読者を深い考察と感動に導いていく。死や生について考えたことがある人は、ぜひ一読していただきたい。そして、考えたことない人も、ぜひ。千年超しの人と人との絆とか、それぞれの立場からの想いとか、かっこいいアクションとか、超イイから!
人は死なない。これは別に例えでも夢を語っているわけでもない。『あいつは、俺たちの記憶の中でずっと生きてるんだ!』なんてナマっちょろい話でもない。ただの事実を語っただけの話である。現代人からすれば人は死ぬのが当たり前。だからこそ太古より人は不老不死に憧れてきたものだ。しかし、人は死なないのが当たり前ならば?『死』というものに憧れたりするのだろうか?死は平等に誰にでも訪れるとは言うが……本当にそうなのだろうか……