ついのてあし 完結日:2016年10月24日 作者:室木 柴 評価:★★★★☆ 4.3 風景画を好む浮世絵師:タキイチは、北の奥にあるという伽藍の噂を聞き、好きに絵を描く気ままな一人旅に出る。 旅に出てしばらく。うっかり山登りの途中で夜を迎えてしまったタキイチが目覚めると、その命は怪物に囚われ、風前の灯となっていた。 話数:全12話 ジャンル: 登場人物 主人公属性 未登録 職業・種族 未登録 時代:未登録 舞台:未登録 雰囲気:未登録 展開:未登録 その他要素 人外 和風 蜘蛛 雰囲気 注意:R15 なろうで小説を読む
人たる絵描きと妖たる土蜘蛛。月夜に出会った二人は互いの目的のために行動を共にし、時の移ろいと共に惹かれ合ってゆく。物語の中で、絵描きは自らの生を賭して『生きる』ことを選択する。ただ日々を過ごし、あるがままの日々を受け入れているだけでは、真に生きているとは言えない。『生きる』とは、己の中にあるものに火を灯し燃やすこと。ただ時間と共にそれらを擦り減らすは死に向かうだけの暇乞いに過ぎない。絵描きはいのちの一片が燃え尽きるまで生きた。妖たる土蜘蛛も、絵描きに寄り添い最後のひとときまで共に生きた。物語に描かれているのは男と女であり、人と妖であり、さらには夫と妻、父と母であった。その対なる手足が陰陽の理を成し、巡るいのちに想いを紡ぐひととせを描いた美麗なる妖奇譚。
私はこの物語を、いまあるいのちを懸命に生き、新たないのちをどう迎えるか、についての話と読んだ。 なんと美しい、蜘蛛の糸のごとき筆致であろう。私は見事に、心をからめとられてしまった。筆者の「からだ」で感じられたであろう和の(そして輪の)感覚、また物語の持つ「ちから」の息吹に目を瞠る。 絵師、タキイチは絡新婦のシセイにいのちを狙われる。この導入部から、我々は否応なく、生と死という題が思い起こされる。北の伽藍を目指しながら、ふたり(あえてふたりと書きたい)はやがて惹かれあい、互いの宿命と向き合いながら道中で成長していく。 道中、タキイチに突きつけられた宿命は、あやかしの験力をもってしても、ないものとすることはできない。道中でひらめいた考えをもとにして、彼彼女らがとった選択に、魂が震える。そこに、我々は盤石たるちからの、また糸のごときしなやかな頸さを見るのである。
自分の仕事にこれほどまでに理解をしてくれる伴侶に恵まれれば、幸せだろう。この物語の後半で彼女が選んだ道は、親としてはあるまじき道。でも、彼女は親としての生きざまは残し、子が育っていく土壌も整えた。そして、子を導く親代わりも見つけて。正しさがあれば、生きていることになるのかは分からない。人は春を待つけれど、これほどまでに焦がれる冬もなかろうと思う。その冬を待ち望む気持ちは正しくないかもしれないけれど、それが生きているってことなんだから、正しくなくったっていい。レビュのタイトルに恋愛と入れたけれど、それが正しいのかもわからない。分かるのは、糸を吐き出す者も、それにからめとられた者も、ただお互いに惹かれ合う者だったという事。恋や愛という言葉が正しいかはわからない。確実なのは二人の間の情だけ。さあ、冬の初めに、絵師タキイチと共に土蜘蛛の舞う滝を見に行こう。心に染み入る滝を。
恋愛というジャンルは、ふしぎだと思う。恋は落ちるものなのに、愛は育むものだからだ。同類項ではふつう、ない。落ちると育むが繋がらないように。だからきっと、その断絶を飛び越えるジャンルなんだとボクは思う。とてつもない冒険だ。それなのに、この物語はもっとおかしい。恋をし、結ばれ、愛を育む。それが普通なのだとしたら、これは間違いから始まる。寂しさに人肌の温もりを求める心から始まる。それなのに絵師のタキイチと、土蜘蛛の娘シセイの間で落ちて、育まれる恋と愛は、あまりに切実で、純粋だ。ふたりが選ぶ結末は、純粋過ぎて、もしかしたらワガママとなじられるものかもしれない。けれども、だれがそのワガママを笑えるだろう。だれが、その痛みを忘れるだろう。もうわかるはずだ。ふたりが人生を賭して熾した焔。断絶を飛び越えて。その輝きが焼きつけた痛みを、なかったことにできはしない。
おくゆかしい世界の空気が、言葉を連ねて立ちのぼる。鼻の穴から身に沁みて、瀧のしぶきと冷えた夜風に扇がれている心地さえする。かぐわしい、とは斯様な作品に相応する言葉でしょう。陽と陰にて象徴された、彼と彼女は人と蟲。対なるべくして交わるまじき、互い「異類」の両者ながらも、ふたりは自然という太一の理がもとに情をはぐくんでゆきます。好いたものを好きぬいた果てに、何が見られましょうか。人と化生の出会いがもたらす悩みと幸せ、笑みと涙――そして新たに産まれるものと、遂に終いを迎えゆくもの。開闢以来の理法のなかで、愛しきものに形を与え、おのが命の証と遺す。それはすべやかな筆致の織りなす、絵描きの生き様でした。美しき三万八千文字を全霊で味わえる一作です。ご一読あれ。
美しい。一言で表せばそうなるのだが、それだけではこの物語の美しさを到底伝えることは出来ない。例えるならば、えも言われぬ滑らかな肌触りの絹のようで。儚く美しく、だが時に情熱的で激しく狂う所も垣間見せる、一枚の絵画のようで。主人公タキイチは、自然と対話することを生業にする絵師である。旅の途中で、彼は出会ってしまう。哀しくも美しい、自分の狭い狭い心のうちに住むことのできるたった一つの存在に。襲いかかる運命へ彼らが選ぶ答えの、なんと潔く強いことか。生命の終わる瞬間まで、否、生命の終わりを受け継いだ新しい生命まで、かくも美しく愛せる者がいるだろうか。胸を打つ静謐さを秘めた文章を追えば、自ずとその世界へ引き込まれる。一時の休息に上質な物語、いかがでしょう。
月夜の夜、絵師のタキイチが出会ったのは、美しき絡新婦でした。異なる存在でありながら、お互いを見つめ合うようになった二人が、ともに生き抜く様を描いた上質な異類婚姻譚です。言葉の一つ一つがまるで音の粒のように耳に届き、霞のような風景が脳裏に焼き付く。繊細な言葉運びで、静かに、確実に愛を紡ぎ、生き方を選び取る二人が語られていきます。上質な恋愛譚をお探しの方に、是非読んで頂きたい。ついのてあし。ひらがな表記されたこのタイトルの意が物語の随所に輝いています。まるで愛しい欠片を拾い集めるような気持ちになりながら、世界を旅することができるでしょう。短い文章の中に、ぎゅっと愛しさが凝縮された、哀しくも優しい物語です。是非、静かな部屋で。あるいは流れ落ちる雨音に耳を傾けながら。真っ直ぐこの物語に向き合って欲しいです。美しくも儚い音の粒が貴方の耳に届くでしょうから。
優美なる月が照らす、幻想的な夜。浮世絵師のタキイチが出会ったのは、絡新婦の麗人。突きつけられるは、生と死の選択肢。男が選びとったのは、彼女との一夜。優しき肌のぬくもり。ヒトならざる者の願いに答えた男は、彼女とともに北への旅へ。陽と陰。絵師と女。人間と物の怪。常人であるならば、必定だろうか。美貌の、されど異形である化生への恋に、男:タキイチは葛藤する。伽藍を目指す道程のなかで苦吟し、無垢なる魔性を愛した己に、何度も問いかけを重ねていく。絵の求道の果て。己が抱く深奥に気づいたとき、男は彼女への想いを見出だす。幽玄と美を愛する男は、真の《愛》の選択肢をつかみ取るのだ。そして、旅の終わり、彼らの恋物語の行きつく先とは――。玲瓏なる言の葉が紡ぐ、和風ファンタジー『ついのてあし』儚くも美しきかの物語を、ぜひともご一読あれ。