(この作品は小説家になろう様とアルファポリス様と、エプリスタ様とカクヨム様にて同時掲載中です)
紀文の話は江戸時代の作家、為永春水が初めて書いたとされてますが長き時を経て今正に現在に蘇らんとする。
「紀文」青春伝 (前編)
江戸時代の豪商(紀文)若き頃の物語である。
寛文九年(一六六九年)有田郡湯浅別所で、山本文旦の次男と生まれ、幼名は山本文吉だった。
四歳にて祖父武兵衛に連れられて広八幡神社に剣術および柔術の修業で、住み込み小僧見習いとして行った。
関口流柔術を習う為だが、其処で修験者の林長五郎(根来忍者)に会い、忍術と合気術習うが直ぐには、会得成らずであった。
ある日に剣の打ち込みで小猿が落下。治療し小猿と仲良くなり猿飛びの術や、合気技を会得する。
武兵衛が迎えに来た。名前は文兵衛と改めた、途中船頭になる為の教育を受ける。
延宝五年八月、文兵衛九歳の時祖父武兵衛(明心丸)が沈んだ。
熊野屋に丁稚奉公に出された其処のお嬢さんとの仲を疑われ、北山村に行き筏流しをする。騙されと知り湯浅に帰る支度をする。
船違え大地に着く鯨取り本を読み漁に出て銛の実技を積む、何事もやりかけたら夢中になる性格であった。
帰り湯浅過ぎ、何故か和歌浦で降りる。
頼る者無く歩き玉津島神社で喉潤す、神主に呼び止められ、事情を話すと馬小屋の隣り部屋を紹介され、馬の世話して家賃が無料に。
和歌浦で魚の小売り仕事を見つけ、町中を桶担ぎ売り歩く。
魚市場突然閉鎖される。紀州の加太沖や海南は下津沖に、ホオジロ鮫現れて漁が止まる。
(注意、最近ではホオジロ鮫と、なっています)
藩より鮫退治の命が下り見事鮫を退治する。褒美に千両と武士の名を許されて、紀ノ国屋文左衛門と名乗る。
下津の大崎で紀ノ国屋文左衛門が、外国の難破船を見つけ修理改造し凡天丸と名付ける。
貞享三年九月から嵐が続き時化て大荒れ、蜜柑を江戸に送れずに、蜜柑農家や蜜柑方役人また、蜜柑問屋は値段暴落して頭を抱えていた。
紀州藩より、紀文に白羽の矢が下った。
(作品中の文兵衛も江戸時代の昔は文平であり私が修正しましたが、私の作品でもたまに文平となっています、入力弾かれて修正出来ずそのままにしてます。どうもすみませんでした)
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