評価:★★★★☆ 4.3
発達障害の長男と母としての私の関わり方の記録というか、私なりの子育てについて、語ろうと思います。
ただし、私は専門家でもなんでもありません。
私は私の息子の専門家なだけです。心理学とか、医学の知識もありません。きっと正しくないことも語るでしょう。うちの子とは症状が違うから、参考になんてならない方も沢山いらっしゃるでしょう。というよりも、症状は一人一人違うのだから、違うのは当たり前です。
ですからあなたは、あなたのお子さんなり、ご家族の方の専門家になって下さい。
願わくば、その切っ掛けになりますよう。
※私の実際の経験と、私の主観をつらつらと書くので、あまり纏まりがないエッセイかもしれません。
2019年現在、長男は高校1年、次男中学1年、三男小学5年です。
発達障害だと発覚した頃は、長男3歳、次男6カ月、三男はまだ産まれていません。
話数:全25話
ジャンル:
登場人物
主人公属性
- 未登録
職業・種族
- 未登録
時代:未登録
舞台:未登録
雰囲気:未登録
展開:未登録
注意:全年齢対象
私はこのエッセイに出てくる発達障害の長男君との共通点が多いので、めちゃくちゃビビりながら読みました!そして昔の自分の事を思い出して、いろいろな場面で心臓がバクバクしました!私のような子供は、母親にこれほどの負担をかけるのですね!もしも立場が逆だったらと想像して、心臓がギュっとなりました!こんな私のような面倒な子供を育てている母親のみなさんには、本当に頭が下がります!そんな母親に迷惑をかけた側の私が薦めるのも何ですが、このエッセイは本当にすばらしいです!とにかくキレイ事じゃないのが、ものスゴいんですよ!本気でドキドキしますので、ぜひ読んでみてください!
絵本を読み聞かせると内容を暗記する。毎日ブロックを並べて数字を作る。触られるのをいやがる。他の子どもがしない、一見謎の行動を延々繰り返す長男。あなたならどう接しますか?その当時はネットで調べたって欲しい答えはヒットしない。このエッセイの筆者様は長男さんが発達障害と診断されて以来、長男さんの最大の理解者であろうと日々努力を重ねています。長男さんの行動の理由、癇癪を起こす理由。ひたすら長男さんに寄り添い、共に涙して成長していきます。誰よりも息子を理解しようとつとめる、長男さんにとって最高のお母さんだと思います。同じように発達障害の子を抱える親御さんたちにとって教本になるような、そんなエッセイです。
発達障害。発達障害のお子様をもつ、遥彼方先生の『発達障害の長男と母としての私』 発達障害を持つお母様って本当に大変なんだな。って思います。おかきになっている【私が長男を本気で殺そうと思った時】世紀末的な印象でした。 誰でも言うことを聞かない人に対しては、暴力を振るってしまったり、時には殺めてしまったり。それでもよく、お子さんを殺めたりしなかった。と誉めてあげたいです。 発達障害以外にもいろんな症状を抱えているお母様がおられる中、子育ては大変かもしれません。 でも、それでも、遥彼方先生は、キチンとお子さんを育てあげています。 まさに愛ですね。 愛があったからこそ、踏みとどまる事ができたのだと思います。 遥彼方先生は、『我が子の専門家』として、その体験談を元に悩みや愚痴を幅広く受け付けています。
私には子はない。私には相方もいないから当然のことである。よって、人に親になった経験というものがない。ただ、それは想像を絶する不安な行為だと私は思う。自分の子が発達障害だと言われたら、なおさらのことである。もし、私が人の親になることができたら、このエッセイを必ず読み返すと心に決めている。その時の不安のすべてが、このエッセイに書いてあると思うからである。この作品は、まずは自分の子どもに無関心にならず、自分の子どもの専門家になること。それが一番大切なことだと訴え続けている。「自分の子供の専門家になろう」子育てに悩む人には、この話だけでも是非読んでもらいたい。そして、一人で悩まないこと。それも大切なことである。
このエッセイは発達障害を持つご子息とその母親である筆者の日々の葛藤の記録であると思う。私はまだ若造であるし、人の親という立派な存在には慣れていない。それでも筆者の御子息に対する嘘偽りのない愛情が文中からあふれ出す様子は素直に私の胸を打つ。私事ながら学生時代の私は所謂不良少年であり、親類縁者、教職員といった周りの方々にかけたご迷惑は枚挙に暇がない。そんな恥の多かった私の少年期だが、一つだけ周囲に自慢できることがある。自身の身の回りの人たちがとても素晴らしい人たちだったことだ。私はこの作品を拝読させていただき、この気持ちを思い出した。人間は一人では成長することができない。周囲の人たちに背を押され、時に崩れそうになる肩を支えられ、前をいく背中に教えられ子供から大人になっていくものだと思っている。本作は決してきれいごとでお茶を濁してはいない。それでも胸を打つ何かがあると私は信じる。
結婚して子どもが生まれたら、いつもにこにこ笑っているお母さんでいよう。そんな他愛もない望みは、今は無限の彼方。眠る子どもを見ながら、もっと違う接し方があったのではないかと反省することも多い毎日です。そして今の日本はどうにも窮屈。自分が望んで産んだ子どもだろう、だったら文句を言わずに全部一人で面倒を見ろ、他人に迷惑をかけるななんて風潮は、育てにくい子どもを持つお母さんたちを追い詰めているように思えてなりません。ワンオペ育児なんて言葉も、決して他人事ではないのです。どうか一人で悩まないでください。目の前のインターネットは、あなたを孤独から救ってくれます。同じ悩みを持つお母さんたちの話を聞くだけで、誰かに愚痴を話すだけで楽になることもあるのです。保健師さんや半年待ちの発達障害専門の病院は敷居が高いかもしれませんが、ネットなら気楽です。少しでもあなたが笑顔で過ごせる時間が増えますように。
レビューを書く上でなんだが、私は生涯独身予定の冴えない人だ。子供は好きだが子育てを体験したことはないし、大きな関わりを持ったこともない。 だが私はこのエッセイにとても共感している。少なくとも私はそのつもりである。 発達障害や自閉症、またADHDなど、近年テレビや雑誌などでよくみられるようになった単語だ。だがしかし、これにどれだけの人が本当に理解を示すことができるのかと考えると疑問を抱いてしまう。下手をすればただのレッテル貼りでしかないし、それらが人を傷つける言葉として使われることもあるからだ。 このエッセイはそうした発達障害の診断を受けたお子さんのいる母親の話だ。 このエッセイが絶対であるとは決して言えないが、少なくともこのエッセイを読むことで「こういうことがあるのか」程度でも良い。子供と大人、親と子についての理解を深めることが出来るのではないかと私は考える。
私は韓国で住んでいる韓国人です。日本語の勉強のために、初めてこのサイトに来てこのエッセイを読み始めました。しかし、今は、勉強よりもまるで本を読むような面さで読んでいます。とても読みやすい、簡潔、感動があるエッセイです。1遍ずつ読み進む時に、感激しながら、また悲しみも感じています。あなたはとても強くて、懸命な母親です。これに間違いないと思います。大事なエッセイ有難う御座います。