評価:★★★★☆ 4.4
ちょっぴり変わったところはあるけれど、何がって問われると上手く言えない不思議な娘、七緒。
年齢にそぐわないほど利発な七緒だが、どうも意思の疎通がうまくいかない。三歳を迎え保育園に入園させるが、そこで母夕子は家庭での虐待を疑われる。
「本人のためにも一度専門機関に見ていただいてはどうですか」
保育園に勧められ療育センターを訪ねた夕子はそこで娘が発達障害ではないかと告げられる。にけ作:なろう、カクヨム マグネット! アルファポリス連載
『黒いネコの友達』スピンオフでもあります。(本作は独立しています)
『黒いネコの友達』本編はこちら http://ncode.syosetu.com/n5099dh/
『星に願う』の主人公『深町夕子』は本編のヒロイン深町七緒の母親として登場しています。
話数:全54話
ジャンル:
時代:未登録
舞台:未登録
雰囲気:未登録
展開:未登録
注意:R15
誰しも、人から嫌われないように自分を押し殺したことはきっとあると思います。ただ、このお話の主人公、夕子さんはそれが顕著!幼い頃からいい子で優等生な夕子さんは、他人の評価を気にして自分に自信が持てず、人を頼ることや迷惑をかけること、悪目立ちすることが大の苦手なのです。そんな彼女の娘は、発達障害で……この作品は、発達障害の子どもやその家族の苦悩、彼らをとりまく環境をとことんリアルに描きながら、母親として一人の女性としての成長も追いかけるヒューマンドラマ小説です。ゆらゆらと揺らぎながらも成長していく母親と家族の姿に、最後まで目が離せません。子どもを持つ親はもちろん、発達障害についてこれまで馴染みの薄かった方にも、強くおすすめさせていただきたい作品です。
物語の主人公は夕子という一人のお母さん。表向きは完璧、だけど本当は自分に自信が持てない、そんな女性です。人間関係に悩む彼女ですが、中でも特に接し方が難しいのがよりにもよって自分の娘である七緒。七緒は発達障害を持っており周囲から浮いてしまいます。妙に大人びたところが誤解を招きやすいのです。良いお母さんでいられないことに夕子は苦悩します。しかしそれは彼女自身を見つめ直すキッカケでもあったのです。人はいつから完璧を目指してしまうのでしょうか。何をもって「良い親」とするのでしょうか。障害は闘っていくものでなくてはならないのでしょうか。それだけなのでしょうか。苦悩しながらも対策を考えていくのは、ただ嫌なことを避けたいだけではなく、本当は共存したい思いがあるからなのではないでしょうか。夕子が導き出した答え、娘と共に成長する“完璧じゃない親の姿”を是非見届けてほしいです。
夕子は、みんなとちょっとだけ違う。それがひどく苦しくて必死で周囲に合わせて生きてきた。七緒も、みんなとちょっとだけ違う。けれど自分が周囲から浮くことなんてお構い無しに自分を貫き通す。タイプは違うけれど感じる苦しさは同じ。二人は親子で、この親子の生き様はとても痛い。多数派が生きやすく出来ている世の中で、感性が人と違っているだけでこんなにも生きづらい。それはちょっと多数派の人には分かり難い感覚かもしれない。でもそれはある。確実にある。その感覚を、この作者は非常に分かりやすく表現しています。綺麗事だけではない日常はとても痛くて、愛おしくて、それでも生きていく。とても胸に刺さる作品でした。
自閉症やADHDなんて言葉を、どこかで聞いた事はありませんか?軽度のものを含め、現代では15人に1人の子どもが何らかの発達障害を持っているそうです。身近にそんな子がいるかもしれないと、意識をした事はありますか?発達障害は、一見してそれと分からない事も多い。だから本人も家族も苦しむ事があるんです。本作品はまさにその典型。知識も充分にあり賢く見える七緒。でも彼女は、自分の興味のある事にしか目に入らないという発達障害児。人々から向けられる奇異の目は、母親である夕子には辛く苦しいものです。『普通であって欲しい』と願う事を誰が責められるでしょう。親でも理解しがたい行動を周りに理解しろだなんて、無理なのかもしれません。でも発達障害児を持った家族は、訴えて行くしかない。知ってもらうしか無いんです。何度も、何度も…発達障害児の一例を、知識として読んで頂きたい作品です。
発達障害をもつママの苦悩、と書けばまとまりはいいけれど、きっと本質はそこじゃない。おそらく、この苦悩は主人公である夕子が小さい頃から潜在的に持っていたもので、それが娘が他の人の中に溶け込めないことが原因で、顕在化したもののように思う。苦難に直面したとき、人は大きく分けて2パターンに分かれる。動く人と、その場で立ち止まる人だ。おそらく夕子は後者である。それゆえに、苦悩の先は深い。深い闇は、自分自身の中にあるのだろう。強い人の優しい言葉で解決できるほど、その闇は安いものではないのである。私が夕子の友達だったなら、彼女の助けになりうるだろうか。いや、おそらく理解はできても、全面的な共感はできず、私の言葉も届かないだろう。たぶんそれは仕方ないことで、だからせめてもに夕子に小さな勇気を掴む幸運を、祈らずにはいられないのである。
私はこの物語を読んで、涙をこらえることが出来ませんでした。この物語は発達障害の子供を持つ母親の寂しさ、苦しみ、孤独がつづられています。同じように発達障害の子供を持つ私は、主人公の心に重なって、思い出して、泣けて、いっそ笑いさえ出てくる。子供を愛してる。わがままじゃないんです。この子はこの子の世界のルールに従っているだけ。誰もが悪くないのなら、悪いのは母親の私?発達障害といっても、障害のほどは一人一人違う。この物語は、その中の一つに過ぎません。身体が悪いわけでも、知能が遅れているわけでもない。目に見えないけれど、確かにあって本人と家族を苦しめる。知ることは理解の第一歩。どうか知ってほしい。一人の発達障害児の特性を。母親の苦悩を。周囲の反応を。感じてほしい。考えてほしい。理解が本人と家族の苦しみをやわらげる、力になりますよう。星に願います。切に。切に。
発達障害。今でこそ認知され始めた言葉だが……昔はそうではなかった。発達障害の子供を抱えた母親は、ある日から違和感に気づき始める。何故、自分の娘は他の子と違うのだろう? 自分の育て方が悪かったのか?病名を告げられても、容易には受け入れられない。そんな筈はない。うちの子がどうして? 何故自分がこんな目に?困難や障害が前触れもなく襲ってきた時、「それ」は誰もが思うこと。心を抉られるような葛藤。事件。母と子、そして夫や、周りの人々との関係――物語が進むにつれ明らかになる「危うさ」から、そして間もなく訪れるであろう結末から。あなたはきっと、目が離せない。
女性というのは大変だ。周囲はいつだって勝手なことを言う。結婚していなければ、「いつ結婚するの?」結婚したら、「子どもの予定は?」子どもを産んだら、「仕事を辞めないなんてダメな母親」or「専業主婦なんて贅沢」さらに男性と違って、子どもの評価はそのまま母親の評価となる。あまつさえ何か起きれば母親ばかりが製造責任まで問われるのだ。子どもと母親は別人格の異なる人間なのに。だからお母さんたちは必死になる。我が子が「普通」であるように。迷惑をかけない「良い子」であるように。枠組みを求め、そこに押込み、はみ出した部分をどうにかしようと涙をこぼす。同じような子ども時代を送っていれば、なおのこと迷い道から抜け出せない。子育てに正解なんてない。作中の母親たちは、私であり、あなたである。一人で抱えず周囲に助けを求めて欲しい。辛ければ逃げたって構わない。回り道は決して無駄ではないのだから。
我が子の発達障害を宣告された、母親の苦悩とは?医学的牢獄をテーマに描かれたこの作品は、同作者による「黒いネコの友達」の主人公の幼少期に迫るストーリーだ。なに?医学的牢獄なんて言葉、聞いたことないって?ほかに例える言葉がないよ。で、だれかこの “母親” のほうを助けてやってよ。いや、一番大変なのは、障害を持つ娘なんだよ?彼女の生まれ持った病気は、牢獄と呼ぶほかない。ただその母は、娘とはまったく別の牢獄のような日常にとらわれてしまうんだ。 なんで、そんなことするんだよ……母より賜りたる、アスペルガー症候群の物語。まだ、ストーリーは途中なんだ。さっきも書いたっけ?「黒いネコの友達」って作品の、過去をなぞってるんだ。だからこの親子の結末は、そっちを読めばいい。ただし、アスペルガー症の「残酷」を知る覚悟のある者のみが読むこと。とても、責任持てないよ。
発達障害をテーマにしている作品で、けれど本当の問題はそこじゃない気がする。だってこの作品で悩みをかかえているのは、発達障害の子供本人ではなく、そのお母さん。そして、お母さんの悩みは、きっと、子供が発達障害じゃなくても降り掛かってくるもの。普通に生きていたって……いや、普通に生きていれば一度は経験する数々のしがらみ。園のママ同士のやりとり。親族との関わり。夫との関係。結婚して子供を産んで、そうしたら誰だってこういう状況になる可能性がある。みんながみんな上手に人と関われるわけじゃない。誰もが何の悩みもなく子育てしているわけじゃない。少なからずきっと心にかかえているものを、正直に、小説という形で吐露された、突き刺さるような作品。逃げるのも、立ち向かうのも、どちらも勇気が必要なんだね。