< 母に
「人は、死んだらどうなるのか」
と聞いたことがある。普通なら、良い人は天国に行き悪い人は地獄に落ちる、とか答えるだろう。だが母は
「人は死んだら、真っ暗よ。」
と答えた。
35歳になって、ようやく克服することができたが、この母の言葉により僕は「真っ暗」への恐怖とともにずっと生きてきた。
死んだらどうなるのか。
菩薩になる仏教。神の国に行くキリスト教。あるいは自分が神になる神道。それから神を否定する永遠回帰、または「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」といった哲学的態度も後に学んだが、僕はどの説にも傾倒することはなかった。無宗教でありながら、哲学や科学にも頼ることはない。
生まれてくる前、僕は「無」だった。
だから死んだら「無」になるのだと思う。それを、子供にもわかりやすい言葉でいえば「真っ暗」だ。
神がこの世を作る前、または、ビッグバンが起こる前、そこには何もなかった。空白。そこに光が差し、はじめて「有」と「無」が分かれた。
僕が生まれたのは、神が光をさす、ビッグバンだった。宇宙は膨張し、やがて縮小して、また無に戻る。僕もまた同じだ。生まれ、成長して、老い、死んで、無になるのだ。納得できる答えだし、今ではそのことに恐怖を感じていない。もともと「無かった」ものが、いっとき「有って」、また「無に戻る」のだ。「有る」現時点から考えるから喪失への恐怖があるのであって、いったん「無」になってしまえば、恐怖を感じる意識すらない。しかも誰もがやがて「無」になる。だから心配することはない。人間は生きている時、ひたすら「有」を味わい尽くせばいいのだ。最大限利用すればいいのだ。「死」「無」を意識して生きること、それは「不幸」でも「諦め」でもない。ありのままに生きるということだ。
死んだらどうなるか、母はそこまで考えていたわけではないだろうが、それにしても安易に宗教観をちらつかせるのではなく、または「わかんないよ、そんなこと」と突っぱねるわけではなく、素直に人として生きていくうえで得た直観として
「死んだら、真っ暗よ」
とわが子に答えたのだから、この母は真摯だったよなあ、と思う。>
ー第1話よりー数奇な運命をたどる事になった僕の、遺る者たちに伝えたい、人生の道すじ、その中の想い、観た風景。
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